第2章 中学・高校・・・そして幼稚園に就職


その1) 中学生のMACHAKO「初めてリーダーを経験」

 

 中学生になってからは、ひたすらひたすらバレー部(注!バレーボールです。バレエではない、、わかってるって?)で頑張る中学生でした。けれど、このバレー部での出来事が現在の色々な面でリーダーとして活動する私に大きく影響してるのは間違い無い。。。。 なのでダンスとは関係ないんですがその辺を書きたいと思います。

 まず、はっきりいって私は運動音痴。(ここで、ええーーーー??と思ってくれた人どうもありがとうーーー!!!)
 実を言うとですね。跳び箱ってあるじゃないですか。あれ、すっごい苦手です。特に足を開かないで閉じたまま飛ぶほうの・・・・すごい嫌い。大体なんでこんな格好でこれをとばなきゃいけないんだ?って思ったり。。。
 それから、マット運動、これも苦手。普通の後転(うしろにまわるやつ)ができないんです。(倒立前転とか、ブリッジとかはなぜかできるんですけど・・・・)ドッジボールじゃ、逃げてばかり。他の球技も苦手。

 そして、もっと苦手なのが「マラソン」。 初めてマラソンやったとき、それまで一度も長い距離を走るって事が無かった私は短距離と同じスピードで最初から飛ばしました。(笑)小学生のときだったから、ほんと単純無知な私がそこにはいて「あっれえ?なんでみんなもっと早くはしらないのかなぁ?おかしいなー。」って思いながらトラックを突っ走って突っ走って・・・・・最後は追い抜かれてびりでした。(超マヌケ・・・・・・・・・・・・)

 

 動物占いでわたしってチータなんですよ。(しかも足腰の強いチータ)あまりにこの出来事が当てはまってて自分でも笑えます。だって短距離だけはずうっとリレーの選手でしたから!(これはちょっと自慢)

 と。とにかく!!水泳と短距離以外は、運動音痴なんです。水泳は1キロくらいは泳げるんです。なんでマラソンだめなのかなぁ。。。
 そういう私が、バレー部に入って、2年生になったときにはキャプテンになっていたのだから、こりゃ大変です。 それまでわたしって人の上に立ったこととか、みんなをまとめたりとかしたことなかったんです。
 しかも、もう時効だから書くけど、其の頃なぜかみんなからいじめられてたんですよ。今で言うと無視ってやつです。
 理由はたぶん、くだらないことだったとおもいます。だれだれちゃんが好きな、なになに君と仲良くしゃべったとかね。。。でもそのくだらないことが、この頃は理由になって、だれだれちゃんを無視しようって感じになっていくものなんですよね。そんな経験ありますか?今、胸がチクって痛んだあなた!ちょっと其の頃の標的になった子にあやまってくださいませ。

 そういうわけで、バレー部のメンバーからも(全員じゃないけど)無視されてたときに、顧問の先生から「おまえキャプテンやれ!」なんていわれたもんだから、パニクってしまったんです。「できないですーーーーーーーーー!!」っていいました。

 ところがです、先生は「おまえしかいないんだよ」っていうのです。
 その理由がびっくり 。

 「おまえは一番声がでかい。」 なんじゃそりゃ?さすがの単純な私でも理解に苦しんでしまいました。声がでかいのは認めるけど。。
だって私ははっきりいってバレーがうまくないんですよ。うまくないキャプテンに誰がついてくるんだ?

 そういったら「でもおまえはどこのポジションもできるから絶対チームにいないとならないんだよ」っていうのです。
 確かになぜだかわかんないけど、セッターやったり、ライトやったり、いろいろなポジションに1年生からつかされてたし。レギュラーにもいれてもらってました。。。。

 それでもやりたくなかったですね、キャプテンなんて。器じゃないもん。って思い最後までヤダヤダ言いつづけたんですが。頼み込まれてしまってやらざるを得なくなってしまったんです。。
 いじめがあったけど、それどころじゃなくて、とにかく「みんなに私がキャプテンになってもいやがられないように頑張るしかない。」って思って、下手なりに、すごく頑張って練習しましたね。
 実を言いますと、私がキャプテンになってから、このチーム、一勝もできなかったんです。(公式な試合で)どの試合に行っても1コケでした。情けないです。。。。。
 やっぱりわたしじゃみんなをひっぱていくなんて無理なのかな。っていつも思ってたし、みんなにも悪いなぁっておもいました。自分も自信を失っていました。
 その頃はもういじめもなくなってみんなとは仲良くやってたんだけど、どうも結果がでなくって。
 顧問の先生がすっごく厳しくて、まぁこの頃の部活ではありがちですけど、練習中水は絶対飲ませてくれなかったり、殴られたりもするわけです。(もちろん私が一番殴られました。全体責任とか言って)それで部活拒否する子までてきちゃって。
 私はそういう子の家に行って、部活に来るように説得したり、なんとか水のませてあげたくてわざとトイレにいかせたり。
顧問の先生が5時まではこないという情報を聞いたらみんなに「それまでは楽しくやろうよ」って言って安心させたり(しかしそういってる時、うしろにその顧問がいたこともありました。。)まぁ、そんな感じでみんなをまとめてやっていました。

 で、あるときその怖い顧問の先生(男)じゃなくて、アシスタントみたいにきてくれてたやさしい女性の先生が学校をやめることになって、お別れ会をすることになったのです。
 このお別れ会の内容とか進行とかを私は全部任されました。

ここで、現在のMACHAKOに影響の起きる出来事があったんです。(前置き長かったですね。。。)

 私はどうやったらみんなが楽しく会をやれるかってホント考えてアイデアだしておお張り切りだったです。5年生の時の演劇の振り付けを考えたときとかぶります。
 こういうことは大好きで、みんなをまとめて、色々なことを計画しました。初めてリーダーとして楽しみながらみんなを引っ張っていけたと思います。結果、女先生もとっても喜んでくれて、素敵な会になりました。
 なんか初めてみんなが怖がらない部活の時間を持ったという感じでした。
その内容をはっきり覚えてないんだけど、「顧問の先生はどう思ったかな」って気にはしてました。こわかったですからね。。。
そして3年になって、部活引退の時に、最後其の先生からいわれたのは「やっぱりおまえはみんなをまとめる力があるよ。お別れ会の時は本当に良く頑張っていい会になったよ。」って言葉でした。このときいつもいつも怒ってばかりで怖かった、其の顧問の先生は笑っていました。 1勝もできないチームだったけど、試合のこととかはなにもいわれなかった。まぁ私はみんなをそういう意味で引っ張っていける力はなかったのでしょう。。
 でも。私はそのとき本当に思ったのです。「こわがらせたり、厳しくしたりするだけで人は上達するわけじゃないんだ」って。
 顧問の先生には悪いけど、こういう風になっても人は伸びない・・・・って思いました。 それと同時に「みんなで協力し合って楽しいことを企画する」ってすごーく楽しい事だってことも知りました。
 チームワークとか仲間同士の信頼感とか、そういうのはとても素敵なものだということも知りました。
 リーダーになることも、、、、、そんなに悪いことじゃないな。とも。。。。。最初はいやだったんだけど、やってみたら充実感を感じました。

 

 今ではLa Bonita, SIMOQUITITAS, バンビーナスというダンスチームのリーダーとして何年もメンバーを引っ張っていけているのも、きっとこのバレー部での経験があるからだと思うんです。無理してキャプテンやったけど、無駄じゃなかったって思います。
 私のダンスチームはホントいつも練習中から笑いが耐えないし、脱線しすぎて練習にならないとこもあるんだけど(そういう時は、さすがにしかってしまいます)本当にいいメンバーに恵まれてこうやって長く活動していられますが、やっぱり楽しくないとだめですね。その練習場所にくるのがいやになったらいいものをみんなで造ることはできないんです。
 メンバーが仲良くやってないと舞台にもそういう部分が踊りに出ると思います。「すごいなぁうまいチームだなぁ」というよりも、私は「このチームとにかく楽しそうでいいな」って思われたいですね。
 だってバレーには勝ち負けが存在するけど。ダンス(競技ダンスを除くと・・・)には勝ち負けなんて無いですから。
踊ってる本人が本当に楽しくて笑顔で、それが見てる人に伝わるのが素敵だなぁと思います。
 だから無理やり笑顔を作って踊ったりするのも違うなぁと思ったり。やっぱり本物の笑顔とかって普段から明るく楽しく過ごしてないと出ないものじゃないかな。
 私はそういう部分を伸ばしてみんなを引っ張っていけるリーダーでこれからもいたいなと思います。

 

 


その2)高校生のMACHAKO再びダンスに目覚める!「お決まり創作ダンスの巻」

 

 無事に中学校を卒業し、無事ではないけど高校に入学を果たした私。(いやぁ、、、お父さんお母さん、心配かけました・・・・・)
 その1にあるように中学校の私はバレーボールに命燃やしてたもので、ダンスにはなにも触れることがなかったんです。
 高校に入っても、部活は「弓道部」。(其の頃アイコ16歳って流行っていたので。。。ミーハーですね。この高校の弓道部は結構有名でインターハイとかにも行ってたんです。)

 でもねーここでも脱線して面白い話に行きますが・・・・・私は弓道部に入りたかったんだけど、入ってからある違う部の顧問先生からスカウトされたんですよねぇ。
 一体何部っ??

 それがなんと「空手部」だったんですよー。(ここで納得した人いるよね・・・)ところが実はこの空手部のほうがうちの高校ではさらに有名だったんですけどね。インターハイ優勝とか、いつもだったですよー)その顧問の先生がにこにこしながら私を呼び出して「君、空手やったらいいと思うぞ!!」って突然言ってきたんです。
 「はぁ??」
 全くもって興味の無い部なもので即効断りましたけど。今から考えてみると、空手のほうがダンスには近いかもしれないですよね。
 なんていうか重心とか、型とか動きとかね。。。うーーむ。やっとけばよかったかも。。。
 まぁとにかくそれは断って弓道部に入りました。だからまたダンスとは縁のない日々が始まったんです。
 が、私の嫌いな体育の時間のことです。創作ダンスというものをやることになったのですね。 みんなもやったことあるでしょ?「波ーーーーー!」とか「風ーーーー!!」とかね。嫌いな人も多かったんじゃない?
 そんなのをみんなで身体で表現するのから始まったんですよ。
 でもね、またここで先生が、クラスの女子をチーム分けして、みんなでテーマ決めて1曲作ること。ということをさせたんです。
 ここでまた俄然私は張り切ってしまうわけです。(笑)

 何を表現してもいいっていうんで、わたしたちは「じゃあ不良少女をやろう」ってことになりました。
 これもですね、当時「不良少女と呼ばれて」っていうドラマの影響なんですけど(あーーミーハーすぎる・・・)。。
 あ、でも一言付け加えるとわたしたちは不良少女じゃなかったです。(メンバーの中には昔そうだった子はいたけどね)
 これを振付けるのが楽しかったです。もうありきたりの創作ダンスじゃなくて、、、、、「じゃあここでカミソリをもって登場するのがあなたね!!」「ここで、鉄パイプはあなた」「モーニングスター(これ知ってますか??知らない人は私に聞いてね。詳しく説明いたします。)を持ちたい!!!」
 とか、実際は持たないけどね。持ったつもりで戦いながら踊るって感じなんですよ。なかなかハード!!
 たしかラストはみんな傷ついてぼろぼろになって、それでもわたしたちは不良少女で生きていく!!(更生しないんかい?!)って感じでした。
 ここでも学校休みがちなメンバーがいて、私は其の子のうちにまでやはりいくわけです。(笑)
 それで進んだところを教えたりして、メンバーをまとめてましたね。
 みんなでいよいよ発表しあうとき、すごくどきどきして、でも「わたしたちが作った踊りを見て欲しいな」ってメンバーみんな結構自信あったんですよね。
 結果わたしたちの「不良少女」が2クラスのうちの代表に選ばれて(しかし先生もよく選んだよね)、文化祭で踊ることになりました。
 文化祭のときは私は弓道部の活動に忙しくて、残念ながら、踊れなかったんだけど。

 この後、このときに組んだメンバーの子たちとディスコにいくようになりました。
 そのころわたしたちが行ってたのは新宿の歌舞伎町あたりのディスコだったんですけど(店の名前覚えてないです)、それがすごーく楽しかった!!
うまい人のステップとか盗んで、学校の踊り場で必ず練習したりね。(しかし踊り場ってほんと踊るためにつかってたなぁ)
 時々は部活もサボって平日にも行ったりしてました。
 でも、それもあくまで楽しいステップを覚えたいってくらいで、そんなに私にダンスショックを与えたほどではないんですよね。みんなで楽しむだけで充分な感じでした。

 

 


その3)人生を変えた漫画「ダンシングゼネレーション」

 

 高校3年生になって、私はある漫画に出会いました。
 槙村さとるさんの漫画「ダンシングゼネレーション」そして「NYバード」という2つの漫画です。
 なんで読もうと思ったのかは全然覚えてないのですが、読み始めたら最後、止まらない漫画でした。。。。。
 主人公は愛子っていう高校生でバレエの経験があってでも現在はバレエをやめてしまっている。という設定。
 友達の受けに行ったオーディションにつきあって、なぜかそこで自分もオーディションを受ける羽目になり、そこで認められて、あるダンスチームのメンバーに選ばれてしまうという話です。
 メンバーがNYに行くために頑張る姿や、NYに行ってからの苦しい現実や、それでも踊りたい気持ちや、そこには挫折や成功や友情や恋愛などが、色々展開するわけですけど。

 これにはまりました。。。。。。。。
 そこに描かれているのはバレエやジャズダンス、モダンダンスという自分にはまったく縁の無い、見たことも無い世界なんですけど、其の頃映画で「フラッシュダンス」とかで初めてジャズダンスをみて、「かっこいいー」とは思ってたし、それに重なって、ダンスのイメージが自分の中で大きく出来上がっていきました。NYにも行って見たいなーと思いました。
 小さい頃に読んだバレエ漫画とは、全く違って私のこころに深く入り込んできて、初めて「ダンスやってみたいなぁ」って思ったのはこの時です。

 でも現実は、弓道部にはお金がかかってたし、バイトは学校では禁止だし、なにせうちの親に「ダンスやりたい」なんて言えるわけがありません。。。もしいっても笑って冗談だと思われるか、怒られるかのどっちかだから。
 この時の私は、ダンスにはスゴーク興味を持ったのだけど、今の自分はダンスができる状態じゃない。って思ったんです。
 だから「ダンシングゼネレーション」は何度も繰り返し読んだけど、そこで気持ちを止めました。
 その時はまさかこののち自分がダンスを始めるようになるということも想像していなかったです。

 

 


その4)そして幼稚園の先生になる。「お遊戯会に燃える」の巻

 

 高校を卒業して、私は保育科の短大に進みました。
 高校は付属校だったんですけど、その大学には幼児教育学部はなかったんです。この頃はなんとなく「子供が好きだし、幼稚園の先生になろう。」って思っていたのです。
 幼稚園には、私の好きな歌、遊戯、工作、などがあったし、何せ自分が幼稚園でこれらのことをするのが大好きだったので、これならわたしにも教えられるだろうって思っていました。

 保育科っていうのは、本当にまじめじゃないとやっていけない(他もそうなんだろうけど)学科でして。。。。
 とにかくひたすらに忙しいんです。
 私は埼玉の短大だったんですけど、家から通えないことも無かったけど、学生寮に入って、本当に勉強に明け暮れてました。。。なーんていっても信じてくれない人がいるから補足。。。
 学生寮は門限9時(週末のみ10時)だし、食事も自分たちで作るし、お風呂も2日に1度しか入れないという、厳しいーーー所でした。(もちろん夜になって抜け出したりはしてましたよ。はははーーー)
 それに宿題も半端じゃなく出されるんですよね。
 その内容も、自分で絵本を作るとか(製本までやる)、自分で折り紙の本を作るとか(折り順を図解する・・・できるかー!書けないよ普通。)、でも難しいけどわたしにとっては結構楽しいことばかりでしたけどね。そういうことは好きだったんで。(この辺のことエッセイの今度、リトミックインストラクター編で詳しく書きますね。)

 でも実際、想像していたものとは、幼稚園は違う世界であることが在学中にはわかってきた部分もあったけど、私は無事、東京の幼稚園に就職しました。
 1年目はフリーといって、自分のクラスを持たないで色々なクラス(年少から年長まで)の担任のお手伝いをするということをしていました。
 2年目になってようやく自分のクラスを持ったわけですが、これがこれがめちゃめちゃなクラスだったです。(泣)(この辺も今度じっくり「リトミック編」で書かせて頂きます。。。。)毎日毎日やんちゃな園児たちに私は振り回されどおしでした。。。

 幼稚園に色々な行事があるのですが、その年度の一番最後に「お遊戯会」っていうのがあるのです。
 私のクラスは本当に元気良すぎるクラスでして本当に普段まとまりがないんです。でも、このお遊戯会の練習が始まってから、どんどん変わっていきました。
 子供もそうだけど。何より自分が変わったんですね。。。。
 いつもいつも言うこと聞かない子供たちに振り回されていましたけど、ダンスを取りまとめるのって昔からわたしにとっては何より得意分野なのですから、ここではこどもたちをぐいぐいと引っ張っていくことが出来たんです。
 クラスは37人くらい生徒がいて、それを3つのグループにわけて、3つのだしものをやりました。
 一番出演人数の多かったのが「こぶとりじいさん」だったのですけど、ここで先生は色々な登場人物の役に子供をつけていかなくてはならないんですね。
 こぶとりじいさんには鬼がたくさんでてくるのですが、予想を裏切って、殆どの男の子達は鬼をやりたがって困ったくらいです。
 おじいさんが主役だって言ってるのに誰もやりたがらなくて困りました。
それで選ばれた子達はもうホントにやる気満々で、ここに私のクラスのあばれっこたちが集まったのも無理が無かったんですけど。。。。。
 演出とかも先生が全部任されるので、私はとにかく元気にのびのびとやらせようと思い、あまり細かいことはいいませんでした。ここは鬼しか踊らないダンスってところを、他の動物役の子たちがやりたそうだったら踊らせたり。
 実際の台本とはかなり演出が変わっていきました。。。。 練習のとき、テープの頭だしとか、そういうのも私が苦手なので子供にやらせたりして、ほんとクラス全員で、3曲全部できるってくらいまで毎日楽しく練習しましたね。
 だから本番はそりゃすっごい盛り上がりだったんです。鬼のダンスは子供ながらに迫力満点でした。
 子供たちは楽しそうったらなくって。輝いていましたねー。
 「なんだーうちのクラスったら結構やるじゃんーー」って思いました。それまで「まとまりの無いクラス」「うるさいクラス」「喧嘩ばかりのクラス」だったのが、このお遊戯会が終わった後、なんだかまとまってきたし。すごくみんなが大きくなった感じがしました。
 しかしなんといっても自分自身が「やっぱり踊ったり歌ったりが好きなんだな」ってこのお遊戯会をきっかけに再確認したわけです。
 これは本当にお遊戯会を経験して初めて実感できたことです。

 そして新たに目標が出来ました。
 「来年のお遊戯会はもっと自分も子供も楽しめるものを目指そう!」って。
 それには自分ももっと踊れないとだめだろうなと単純に考えました。
 このときです。5年間の間胸にしまいこんでいた、「ダンシングゼネレーション」が思い出されたのです。
 「そうだー私はもともとダンスをやりたかったのだし、今だったらお金もあるし習うことできるじゃないか!!」ってね。
 それから早速ダンスレッスンを探し始めました。このとき私はもう22歳になっていました。
 初めてダンスをやってみたいと思ったのが17歳の時だったのですから、本当に長い間、心の奥にしまいこんでいたんですね。

 でも、本当にこのときは「今がやるときだ!!今しかないっ!!」って確信していました。

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