第4章 MACHAKO 憧れのNYへ行く


その1)  初めてのNYに興奮!

 

 さて!幼児教室には1ヶ月のお休みをもらって、いよいよNYに乗り込む日がやってきました。

 あの「ダンシングゼネレーション」の世界が待っているのかと思うと、ホントに期待に胸が膨らむ感じでした。。。
 それまで海外といえば「グアム」にしかいったことなかったので、そういう意味でもドキドキでしたね。
 向こうについたら日本人じゃない人たちがいっぱいいて(あたりまえだけど)きっとレッスンの雰囲気も違うんだろうなーとか、先生たちはどんな人たちがいるんだろーとか、とにかくとにかく楽しみ!
 長いフライトだって、なんてことなかったです。(途中、飛行機がすっごい揺れた時、となりの友人が遺書を書く準備をしたのにはまいった!)

 マンハッタンでは、 3人で1つの部屋を借りて住むことにしたんで、滞在費はNYのわりに安く済んだこともあって、お金もレッスンにたくさん使えるのがなにより嬉しかったんですね。
 初日に、滞在するウィークリーマンションのそばに、ダンススタジオがあるというので、すぐ見学に行ったんです。
 まずね、空気が違うのですよ。
 いや、これは其のスタジオの下がスーパーマーケットだったんで野菜の匂いがしたっていうのもあるんですけど(笑)。 なんかスタジオ内が、ピーンって張り詰めたような、、、でも綺麗な空気が流れてるんです。とても静かなんですよ。
 しかもびっくりしたのが、1つのダンススタジオにいくつものレッスンスタジオがあって、そこのスタジオにも5つくらい部屋がありました。
 更に驚くのは、そこが朝から晩まで全部違うクラスをオープンしてるんで、1日中5つのスタジオがフル回転って感じなのです。このクラスはバレエ、隣はジャズ、その隣はヒップホップ!下の階ではタップダンス,なんてのがあたりまえ!こんなの絶対に日本じゃありえない!!
 更に ダンスのレベルも細かく分かれているのですがこれが最初意味わからなかった!!初級、中級、上級だけじゃあないんです。
 ベーシック、アドバンスインター、アドバンスビギナー、インテミディア、アドバンス、ビギナーインター、ビギナーベーシック、インタービギナー、、、、、、
どれを受けたらいいんだよ。。。。
 簡単に言えばアドバンスていうのは上級。インテミディアは中級、ビギナーは初級。なんですが、この単語が2つくっついてしまうとわけわかんないんですよ。
 あとで調べてみてこのときはNYも初めてで「アドバンスビギナー」(これは初級なんだけど初級の中じゃ上級に入る人)っていうのが自分にあっているかな?ということがわかったんだけど。。
(でも実際受けてみると、そのランク?レベル?も先生の思うレベルらしくって、あまり当てにならないこともあり・・・・)
 とりあえず初日なんで、見学してみようと思い、レッスンを見て、、、、、、思ったこと。。。

 「みんな足長い。。。。。綺麗。。。。。。」
 やっぱり圧倒的に本当にこれがダンサーだ!みたいな見本みたいな人がいっぱいいるんですよ。
 日本人にはどうしようもない部分だけど、手も足も長くて・・・手も足も出ないという感じ。仕方ないけどね。
 最初のショックはそれでした。
 そして翌日から、レッスンを受け始めたんですけど、私がNYに来た目的のひとつに「バレエを毎日やる」っていうのがあって、朝9時半から毎日やってるレッスンがあったのでそれを受けることにしたんです。このバレエをいやがってた私が朝一にバレエですよ!
 そこでまたびっくりだったんですが、NYではバレエのレッスンが「生ピアノ演奏」なんですよー。
 日本じゃテープを使っていたから、(そのころMDなんてなかったんです)これにはびっくりでした。まるでリトミックの気分。ちょうどいいところで素敵な音楽が流れてくるんですから!
 しかもそれが気持ちいいんですね。クラシック苦手な私だけど朝から生ピアノききながらのレッスンは気に入りましたねー。最高でした。
 来ている人も千差万別でして、若い子からおじさんや、子供とか。なんか其のクラスはアットホームなかんじでした。先生もわかりやすく教えてくれた。

 そうして朝の一発目はバレエをやって、そのあとは曜日ごとに違う先生を受けていきました。
 なんせ 今まで日本ではあの奇想天外な振り付けをしてくれた黒人の先生しか外国人の先生に習ったことが無かったし、「NYの先生たちはどんなレッスンをするんだろう」ってホント楽しみだったんですが、、、ホント、楽しかったです。
 すんごい太ってて「本当に踊れるの?」って思うような先生がいると思ったら、すごいおじいさんで「本当に(踊って)大丈夫なの?」って思う人や、どうみてもどうみても、、、、、まぁNYですからね。同性愛者っぽい先生とか。。
 生徒も負けてない!
 質問はしまくるし、(日本だとあんましみんな率先しては言わないんだよね)それにダンスファッションも日本とは違う!
 胸なんか見えても平気!(もちろん男性も一緒に受けてるよ)って感じで、なんつーか、、、、こう、ぽちっと見えちゃってる人とか。(気になるんだこれが)
 とにかくいろんな人たちがいるんですよ。。。。。

 先生見てるだけで面白い。
 生徒も見てるだけで面白い。
 毎日楽しんでしまいましたよーーーー。人間ウォッチング!
 ただそう楽しんでるだけにもいかないんで、まず人気がありすぎる先生は、ものすごい人数が受けているので、先生の見本さえ見れないし、あまり踊ったって言う気持ちになれないので、しばらくすると、先生を絞って受け始めました。
 私が 中でも私が気に入ったのは、これも黒人の男の先生なんですが、ちょっと太ってて愛嬌がある感じで、レッスンも「楽しませる」って感じなんです。
 振り付けも変わってて(やっぱここがミソ!)毎回「あれ?ここでこうなる?」って思わせてくれる!!
 なによりいいのが、終わって帰るときに1人1人に「ここがよかったよ」とか「ここをもうちょっとこうしたら?」とか声をかけてくれるんですね。
まぁこれは受けてた人数がそう多くないからかもしれないけどね。でもなんていうか、こういうの嬉しいんです。。。。。
 とにかく、朝バレエのあとに、1日2,3つのレッスンを毎日受けられて、新鮮で幸せでした。

 3人でNYにいったんですけどしばらくすると、行動がかなりばらばらになっていってたので、私は大体いつも1人で行動するようになってました。
ミュージカルも初めて見たんですけど、台詞なんかは英語でわからないけど、表情をみたりするだけで伝わってくるものがあって、感動しましたね。
特に良かったのがこの年に見た中では「クレイジーフォーユー」っていうミュージカルでした。(2度見に行きました)役者の表情が本当によかった。。。。
 表現力やっぱりすごいですね。他にも色々なミュージカルをみましたがたくさんみると自分の趣味がわかってきましたね。(CATSは寝ました・・・)
 映画も見ましたけど、このとき「ジュラシックパーク」がNYで公開されてて、すっごく面白かった!!
 ティラノザウルスとかでてくるとみんなで本気でポップコーン投げまくるんです!それにいすの上で逃げるの!足をバタバターーってね。

 そんな感じでカルチャーを楽しむ一方、NYのダンサーには、こういう本場の舞台を目標に頑張っている人ばかりなのかもしれないと思い、なんか自分なんてほんとまだまだなんでもない一人のレッスン生だって痛感しましたけど、毎日レッスンをして、楽しい舞台を見て、お金払わなくても、公園とか道端で色々なパフォーマンスもやっているし、とにかく毎日一生懸命にダンスのことだけに集中してすごせるというのは、幸せでした。落ち込んでる時間はなかったんです。

 私にとって最初のNYはこんな感じで、とにかくその全てに圧倒されて、刺激を受けて、毎日がショックの連続で、、、という日々だったんです。

さて、そして 残り1週間を残すのみになって、自分の身体もすごく伸びてきて、今までにないほど身体も柔らかくなってきました。
 ある日レッスンをしていて、開脚してストレッチをしていたときです。静かだったスタジオに突然「ブチっ!!」っという変な音が響いたんです。みんな「何だ?」って顔をしてきょろきょろしてたんですけど私も「なんだろう?」ってきょろきょろ同じように音の出所を探したんですね。でもわからなかったので「まぁいいか」とストレッチも終わって立ち上がろうとしたんです。。
 ところが、立ち上がれない。
 どうして立てないんだろう??あれ??あれれ?と思ったのもつかの間、自分の右腿がすごいいきおいで痛み出したんです。
 なんだ?これは??って思ったけど、、、、、
 さっきの音ってまさか?????
 この太もも筋肉が切れた音???
 まさかでもなんでもなくさっきの「ブチッ」って音は私の太ももが出した音だったのでした。。。。

 次の日病院に行ったんですが、、先生が言いました。「日本人に多いんだよねーNYで怪我する人。」
 どうも、気温が高いからといって、薄着でレッスンをしたのがいけなかったようなのです。
 日本と違って、風がかなり冷たいのに、しらないで薄着でレッスンしつづけると、筋肉が堅くなってるのに伸ばしてしまって切ってしまうらしいです。
 「君あと1週間だっけ?残念だけどレッスンは中断ね」っていわれてしまいました。
 ガガーーン・・・・・・・・・・・・・
 まったく、何のためにNYまできたんだか、レッスンできなきゃしょうがないよー。って思いましたけど。

 なぜか 其の頃私は立ち直りが早くって。(若かったんだな・・)「まぁいいや、レッスンを見学するだけでもできるし、それにミュージカルだって色々まだみてないし」って超前向きにも思い。 翌日からは、気持ちを切り替えました。
 ついて3週間はとにかく詰め込むだけ詰め込んでたんで、そういえば観光も全然してないなって思って、足は引きずれば歩けたので、美術館とか博物館とか、映画に行ったり、ミュージカルや、週末の市場や、色々を見てまわってそれはそれで楽しめていました。

 けど心の中では、「ここで得たものを絶対に日本で生かすんだ。だからすべてを見て帰ろう!」て悔しさを押さえてましたけどね。。。
 なにより色々なダンススタイルを持つ先生が一度に見れるんですから、見学もいろいろな先生を見比べていって、教え方とか、振り付けとかを目に焼き付けようって思って毎日見学もしまくりました。だってそれこそ日本にないものだから。。。
 ホントに魅力的な先生ってどんな先生なのだろうって、考えたりもしました。
 私はそこで、やっぱりうまいにこしたことないけど、教え方の上手さと、ダンスのうまさが両方ある人だと思ったんです。
 すごくかっこいい先生だけど、「見てやれ」って感じでまったく「教えない」先生もいましたしね。
 やっぱり私は幼稚園でわけわからん子供たちに1からなにもかも教えてきてるんで、そういうところはみえてしまうんですね。
 「あーーーあそこで生徒わかってないじゃん!もう一度説明したらいいのに・・・・」とか、こころで突っ込みいれたりしてました。(やーな見学者だなぁ・・)
 逆にきっちりとポイント(今生徒がどこがわかっていないか)をいいタイミングで教えられる先生は、ちゃんと全員を見てるんだなと気がつきました。(そういう時はこころの中で拍手ね。)
 1時間から1時間半の時間は先生の教え方、進め方、雰囲気によって本当に変わるんです。熱意のあるレッスン、生徒のことを伸ばすレッスン、そういうのを見たとき、見学だってこころが動かされるんです。
レッスンを受けれない分、そういう先生の教え方とか、どういうとこを見てるかとか、何を教えたいのかとか、そういうことにラスト1週間で興味がどんどん出てきたんですね。

 「ダンスインストラクターってもしかしてすっごく楽しい仕事かもしれないな」って思い始めたのはNYの先生たちをこうして色々みてから思ったことです。
 日本ではレッスンをしても、自分が教えるって事には興味が出なかったけど、NYに来て見て、私の中でどんどんと「教える」っていうことの興味が生まれてきたのです。
 そして大胆にも私は思いました。
 私はダンスを始めたのは遅いし、たしかに愛子(ダンシングゼネレーション主役)にはなれないかもしれない。でも、もしかしたら「教える」ことはできるかもしれない。
 いや、、、、、できる!!

 うーむどうして、こうも調子よく思ったのでしょうね。
 でも「みんなで楽しいクラスを作ることはできる!!だって私がそういうのをとても好きなんだもん!!」って思ったんですよ。
 帰りの飛行機では1ヶ月のNYに満たされ、足は痛くても新たに希望に燃えている私がいたのでした。

 

 


その2) 2度目のNYで素敵な出会い!


 初めてのNYから帰ってからというもの、来年のNYに向けて私は、今まで以上の充実した目標あるレッスンをするようになりました。
 その頃の生活は、朝から夕方まで幼児教室、夕方から夜まで2レッスン、または夕方から1レッスンしてからバイトに行く・・・・
 朝、幼児教室が無いときは朝のレッスンにいく。平日のレッスン量が少ないと土曜日曜も、毎週毎週レッスン・・・・・・・・・・・(デートしろよー・・・・・・)

 もうホント、あきれられましたね。
 以前書いたように、家の人たちは私がダンスをやってることさえ、あまり快く思わないですし、「本当にこの子は踊ってるんだろうか?」って感じなわけです。
 でも毎日毎日ダンスのことしか考えてない様子を見て、あきれるしかないんでしょうね。でもまぁ。毎日仕事もしていましたから其の点は安心してましたけどね。

 しかしわたしには目標がありました。
 なんとしても来年またNYに行かなければ!行って今度は「自分がこれこそっと思うレッスンにもっと出会って受けるんだ!!」って。足をケガして帰ってきたことが日本に帰ってから悔しくなってきたんですよ。
 その頃のわたしにとっては幼児教室の先生たちが、とにかくみんなで私を応援してくれたのがこころの支えでして。
 ここの幼児教室ではほんと色々なことを学んだんですけれど、人生の師匠と呼べる先生がいたんですね。

 月日が流れて、私は其の先生にならと思って、自分の考えを話したんです。
 「先生、私ダンスを教えられるようになりたいんです。最初から大人は無理なら、子供にでもいい。幼稚園のお遊戯会ではなくて自分の振り付けで自分のやりたいことをもっと教えられるようになりたいんです。」
そしたらすぐに返事がありました。
 「できるわよー。先生だったら!」
 あまりにあっけなく認められてしまって、拍子抜けなくらいでした。。。。
 そして、しばらくしてその先生が私に言ったのは
 「この幼児教室、NYからかえったらやめなさいね。」っていう一言だったのです。

 先生は私にもっと自分のやりたいことをやったほうがいい。それにはもうここの幼児教室にいてはだめだというのです。
 確かにそこにいる先生は素敵な人ばかりなのですけど、そのころ、その幼児教室をお受験用に宣伝しようかと、上のほうから言われ始めてきてて、わたしや他の先生はこの幼児教室が「お受験教室」じゃないところが良くてはたらいているのに、、、というので、事態に困っているときではありました。

 そして私に、ある学校の紹介が書いてある新聞の切抜きを渡し、「ここにジュニアのダンスインストラクターになれるようなことがかいてあるわよ。ちょっと怪しいけど。NYに行く前にちょっと見てきたら?」って言うのです。
 わたしはしばらくしてその学校まで見学に行きました。
 リトミックと音楽療法とを主にやっているとのことでしたが、新しくジュニアにダンスやミュージカルを教える先生も探しているのだといいます。そのリトミックは私が幼稚園でやっていた怖くて厳しいリトミックとはまったく違うものでした。
 直感で「ここに入ったらわたしには仕事がきそうだ。」と思いました。
でも、とにかくまずはNYに行ってくる、そして日本に帰ってきて、今の幼児教室がお受験に変わるようだったら、私はやめるしかないし、其のときにまだ気持ちがあったらこの学校も考えよう。と思いました。

 そんな感じでちょっと先行きが決まらないまま、私は2度目のNYに行くことになったのです。
 2度目ということもあり、勝手がわかる分、レッスンを受けるのにはすぐに慣れてきました。それにストレッチや、無理なことはやらないというケガをしない要領もつかめていたので、初回より余裕のあるスタートを切ったわたしでした。

 しかし、一度目には見えないことが色々と見えてきたんです。。。。。
 バレエをやっていない身体にとってジャズダンスの高い壁を感じますし、どんなに頑張ってもあがらない足のこと。どう転んでも、追いつけそうに無いものがどんどん見えてくるのです。。。。
 1度目には落ち込まなかったところで私は落ち込み始めました。
 けれどそんなときは、リズム中心のジャズを受けたり、ヒップホップを受けました。(わたしにとっては気楽に踊れるもの)
 そして以前と同じように、受けないレッスンを見学してみて回りました。できそうにないものもチャレンジしました。
 誰でもダンスをやってて落ち込んだ経験が無い人なんていないと思うけど、本当に言えるのは、ダンスって落ち込んだほうが絶対そのあと成長すると思います。
 私はすっごい高いジャンプが出来なくても、バレエのポーズが取れなくても、同時に自分の得意なこともたくさん見つけていきました。
 早い振り付けもすぐに覚えられること、リズム感に関しては、相当鍛えられていること、表現できる種類が増えてきたこと。。。。。嫌いだと思ってたゆったりした振り付けが好きになってきたこと。
 2度目のNYでは、自分自身を見つけたり発見したりということがたくさん出来たように思っています。
 実をいうと、この2度目のNYも1度目に一緒に行った友人の一人と一緒に行ったのです。
 その彼女とはこのNYから帰って日本で一度も会ってないのです。彼女は今ごろどうしているのでしょう?

 このNY以来、彼女はダンス教室には顔を出さなくなりました。
 それだけじゃなくって。。。。この2度目のNYでも、彼女がレッスンを殆どしてないことに私は気がついてました。
 自分の事を知るのに、NYは良いところです。。。同時に、自分の姿を見てしまうからこそ、向き合うことに疲れてしまうところもあります。。。。
彼女、帰る飛行機の中で私に言ったんです。「NYに来ると自分が嫌いになる。」
 日々部屋にこもる彼女に「レッスンに行ったら?」と最初は声をかけれたけれど、だんだんかけれなくなって、最後はまったく別行動になっていたので、彼女が何を考えていたのかはっきりとはわからなかったけど。
 ダンスを踊らなくなっていく友人を見るのはつらかった。
 もしかしたら、そのぶんも私は踊ろうとしてたのかもしれないです。。。。

 帰国が近づいたある日曜日、私はTKTS(ミュージカルチケットが半額で買えるところ)に2時間くらい並んでいました。
 この日は受けたいレッスンがどうしてもなくて、だったら買えそうなチケットで、なんでもいいからミュージカルを安く見ようと思ったのです。
何度もTKTSに並びましたけど私に声をかけてきた人がいたのはこの日が初めてでした。
 その人は白人の初老の女性で、とても品のいい感じでした。
 「何を見るの?」と聞かれたので「決めてないんだ」というと、彼女は新聞を広げて、おせっかいにも1つ1つ私の見てないミュージカルを説明しだすんです。それも最高にキュートな笑顔で。。。ちょっとーこれ全部説明するつもりなのーと思ったけれど、笑顔があまりにかわいいので、わたしもついついにこにこしちゃって。。。。。。

 彼女のほうはというと、お母さん(すごいおばあちゃんでした)と一緒にミュージカルをみに、マンハッタンに来たというのです。彼女の家はロングアイランドというところだということでした。
そして並んでいる間中、私とその彼女はおしゃべりがやむことはなかったのです。
 それもそのはずで、その彼女は今は引退しているけど、つい最近まで現役の「幼稚園の先生」だったというのです。
 今は「幼稚園の先生の学校で教師をしている」とのことで、同じ職業だったことに更に盛り上がって話は終わらないんです。
 わたしは今は幼稚園をやめてダンスを中心にやっているんだ。仕事ももうすぐやめるかもしれないんだと話しました。。。その彼女が日本の幼児教室の師匠とかぶってきて、それまでNYでこころ許せる人もいなくて、自分のことをいっぱい話しました。
 そして無事に彼女に勧められた「くたばれヤンキース」というチケットを手に入れて、彼女も目的のチケットを手に入れた後、彼女が私に「住所を教えて欲しい。」といってきました。
 「あなたはまたNYにくるでしょうから、其のときに私の家に遊びに来て欲しいと思うから、連絡を取り合いたいのよ」というのです。
なんだか不思議な縁を感じるその彼女に私はいいました。
 「私。ダンスを教えられるようになれるかな?」
 そして彼女は言いました。
 「もちろんよ!!」と笑顔で。
 その時なんだかしらないけど、変な勇気が湧いてきたんですね。
 日本でも自分の師匠に同じように言ったら、即座に答えられてしまったけどここでも同じだな。
 これはもしかしたら偶然なんかじゃないのかも。って。
 1年前「わたしだってダンスを教えられる!」となんのあてもないのに思ったときと同じ感覚が、蘇ってきました。

 「よーーーーし日本に帰ったら、とにかくまず教え始められるように活動するぞ!!」って。
 そしてその彼女「ジョイス」と別れたのです。別れて初めて気がつきました。
 「私、、ずいぶん英語話してたな・・・・・・・・・・」
 それは私にとって苦手な英語をアメリカ人と話した、間違いなく最長記録でした。
 そして、この彼女「ジョイス」とはこのあとの4度のNYで毎回会っています。

 

 



その3) 3度、4度目のNYと教えの仕事!

 

 2度目のNY以来、3度目、4度目と毎年NY行きを重ねるごとに、受けるレッスンも内容もどんどん変わっていくようになっていきました。
 ヒップホップが大好きだったのに、ある程度やってしまったら、私の中では、もう求めるものが出てこなくなってきたんです。嫌いになったわけじゃないけど。なんだろう.….他のダンスを求めている自分が見えてきました。
 3度目のNYで初めて、アフリカンダンスを習いました。
 そのスタジオはミッドタウンではなく、かなりダウンタウンにありました。
 住所を頼りに行ったのですが、「なんだよーもっと目立つ看板にしてよー」っていうくらい、目立たない、商売気のないスタジオだったんです。
初めてスタジオに入ったとき、アフリカ人らしき先生がいて「アフリカンダンスを習いたい」っていったら。
 「ボクのクラスは、マンデー、!イエーース!チュースデー・・・ノー!!オー!ウェインスデイ、イエーーース!!サースデイ、ノー!」・・・・ってな感じでやたらと丁寧に説明してくれたのが懐かしい。。。
 で、まず初心者クラスを受けることにしてみました。

 今まで自分がやってたダンスはしっかりシューズを履いて、バレエの基礎が入ったジャズ、もしくはリズムに乗ってかっこよく踊るヒップホップでした。。。
 んが!!このはだしで踊るアフリカンダンスをやって、私は初めて、汗をかいた気がしたんです。。。。。
 先生も超ファンキーで(いやファンキーって言い方さえも弱いな・・・・)教えながら叫ぶし、笑うし、飛び跳ねるし・・・・・
 そして生の太鼓の音に合わせて踊る体験に、身も心も、躍らされるという感じでした。。。。

 ここのアフリカンダンスはちょっとリトミックの即興に似てて、「タンタターンタタンタタタン、アッ!!」っていう太鼓の音が聞こえたときに習って知っているステップに即座に変えなくてはならないって決まりがありました。その太鼓の合図が最初は他の太鼓のリズムに混ざってわからなかったけど、だんだん聞こえてくるようになると、自然に違うステップに変えられるんです。
 「うっわーーーーーなんだこれ・・・・・なんだこのこの感じ・・・・・」
 今までにない心が踊る体験に、私は驚きでした。

 アフリカンダンスを習った日から、わたしは、そのスタジオに通いだしました。
 ただ、初級以外は、もう・・・ものすっごく難しくて、そして人間業じゃない跳躍とか(アフリカ人の見せる膝を曲げてびよーーーーんって飛ぶアレ・・・)見てしまって、正直「そこまでできん・・・死ぬ。」と思ったけど。
 初級クラスだけでも、充分すぎるくらい太鼓のリズムが身体に染み込んでくるんです。
 自分の中で、「こういうダンスのほうがすきなのかもしれない」って思い始めるようになってきました。
 確かに私はショーダンスっぽい踊りも大好きです。
 ミュージカルで洗練された踊りを見ても感動するのですが。。。。
 なんというか感動の種類が違うんだなという気持ちになりました。

 そしてもうひとつ、新しく「ラテンジャズダンス」というものも習い始めました。
 これは、ラテンダンスの要素が振り付けにふんだんに入っていて、普通のジャズとは基本が違って、つま先をインにしたり(普通はバレエの基本にならってつま先はアウトなんですが)するのです。
 曲もサルサ(後で知った)や、ラテンポップスやチャチャチャを使うのですが、私にはこのクラスが一番楽しい、居心地がいいと気がつきました。曲もとても楽しいものばかりで。。。
 無理な足を上げたり回転はないんだけど身体の動きが難しく(サルサ用語でいうムーブメント)、とても新鮮な感じがして、やはり普通のジャズのほうを主に受けてたけど、こちらのクラスも見学したりたまに受けたりし始めました。
 ただ正直言うと、3度目、4度目のNYは、「めちゃめちゃレッスンしたよー!」って言うほどものすごい自慢はできないの。
 なぜなら、ジョイスに出会ったことで、ジョイスの家に遊びに行ったり、(ロングアイランド)泊まりに行ったり、マンハッタンでミュージカルや美術館にいったり食事したり、、、、、そんなことも存分に楽しんでしまっていたんです。
 日本での忙しさをリフレッシュする意味も含めたNYだったんですよ。

 そしてNYに行ってる以外の時間は私は日本で、この頃からレッスンを持つようになっていたんです。

 2度目のNYの前に、師匠が「この学校どう?」って教えてくれた新聞の切抜きの学校に帰国後入って、私は3ヶ月目くらいには子供のダンスインストラクターにすでになっていたのです。(もちろん相当売り込んだ)
それだけではなく、リトミックの仕事も入ってきて、もう毎日学校&仕事で忙しくなり、相変わらず日本でレッスンはしていたけど、教えるほうにどっぷりぎみでした。
 ジョイスや師匠が言ったとおり、私はなんだかあっという間に自分のクラスというものを3つほど持つようになってたんです。。。。ここに至るまで、なんかあまり苦労していない気がする・・・・・・・
 そして同時にその学校で本当はピアノを個人レッスンしないといけないのに、なぜか私はボーカルを個人レッスンしてて。(これねぇ本当はだめなんだよねぇ)
 そのボーカルの先生がなんだか私に「あなたはもっと歌える!」ってハッパかけてくるんで、よーし!って、ミュージカルのオーディションを受けたら、受かってしまって。(ちなみに110人中15人くらい受かったの対した倍率じゃない)
 そのミュージカルでは歌うし踊るし、めちゃめちゃやりたかったことが満たされました。(ちなみにそのオーディションで受かった理由が声がでかいかららしいす・・・あれ?どこかで聞いた台詞)
 何年か前オーディションで落っこちた私はそこにはいなくて、なんだろう歌も、芝居もダンスもどれもこれも自然にできたっていうのかな。。。。。楽しんでやったらうかった!って感じでしたね。
 しかしそのミュージカルって女窃盗団の話だったの。(アレ、、なんか高校生のMACHAKOで出てきた話にかぶる)そのミュージカル出演を皮切りに、それから毎年ミュージカルには出演するようになっていきました。

 その頃の生活は、平日の半分は学校、半分はリトミックとジュニアダンスの仕事。夜はバイトとミュージカルの稽古、土日はダンスの発表会の練習。って感じで.色々なことがばばばーーーって押し寄せていた感じ。
 この頃のこと、まとめあげてかくことはできません、。あまりに重なりすぎてて。。。。
 とにかく。毎日超充実してました。
 だって自分の好きなことやってお金が貰えるというのはすごいです。
 正直幼稚園の先生のときは、たしかに好きなことではあるのだけど、なんていうか、幼稚園の中の1つの駒でしかない自分というのがはじめからわかっていたんです。。。。。。。。。。
 でもこれからの自分は違う。どんなに少しのお金だって、「自分自身で全て考えて教えたもので貰えるお金なんだ。」という、嬉しさで一杯でした。。。。。。。。
 でも、現実は教えだけでは食べていけないから他にもバイトはしてたんです。
 そんな感じで3,4回目のNYも、そういう流れの中で行ったんです。

 学校を卒業して、そのまま私はその専門学校でダンスを教えることにもなりました。1日6時間ダンス教えてましたーーーーー(笑)。休み時間はなしで。(さらに笑)
 後輩(しかもダンスなんてなんにもやったことない子たち)にダンスを教えるのが楽しくて楽しくって.この頃は疲れるなんて言葉は私の辞書になかった・・・・・・・・・
 学校でミュージカルをやることにもなって、その振り付けを頼まれて、8,9曲、全部違うジャンルの振り付けも考えました。
 学校が休みのときは(夏とか)NYに行かない夏は自分でレッスンの場所を探して勝手に夏期講習もしましたし、とにかく学生と一緒に楽しく踊る、振り付けを教える、舞台をやるっていうのが楽しかった。。。。。。。。。
 自分のやりたいことはこれだ。
 私は私の振り付けで舞台に出たかった、子供たちを躍らせてあげたかったんだ。って実現してみてまた更に実感してました。
でも本当に自分の踊りたいダンス、自分の求めているダンスには、いまだ出会っていないという気持ちはいつもありました。

 私は教えることが好き、これは実現してきてる。
 でももっと自分自身が夢中になれる踊りはどこにあるんだろう。。。。
 いままでやってきたヒップホップやジャズではないことは4度のNYでわかりかけてきていました。
 たくさんのミュージカルや芝居に出て、身体はいっぱい使って疲れるのに、充実してるはずなのに、やっぱり踊りつかれてこない。
 幼稚園の先生のとき、どんなに疲れててもダンスに通った、、、、、、、 そういう日々がなつかしく感じるようにもなっていました。

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